「はしがき」によれば、佛教大学は「日本の大学教育において初めての、そして唯一の歴史学部」を設置した大学だそうです。本書は、その歴史学部の専任教員全員で執筆したという興味深いものです。全264ページを22人で執筆しているので、一人当たりのページ数が少ない、つまりコンパクトに各自の論文が書かれているので、飽きずに読み進めることができました。中でも面白かったものをピックアップしてみます。
- 「船が語る日本の中世」(貝英幸)
- 「『戦後』を考える」(原田敬一)
- 「憶える歴史から考える歴史へ――アテナイの民主政と陶片追放」(井上浩一)
- 「近世ドイツにおける『家』の生き残り作戦――お葬式パンフレットを読み解く」(塚本栄美子)
- 「良い就職先は良い成績から? ――一九世紀中葉オックスブリッジにおける大学教育の葛藤」(水田大紀)
- 「平安京の実像――都市と思想」(佐古愛己)
「船が語る日本の中世」(貝英幸)
韓国の全羅南道新安郡沖で見つかった「新安沈船」を手掛かりに、日本の航海や貿易をめぐる事情を明かしています。新安沈船は中国から日本に向かう途中、難破してしまった船です。
びっくりしたのは、船底に敷きつめられた銅銭がバラストとして用いられてた可能性が示唆されていること。バラストとは、船の安定した航行のために吃水を下げるための重りで、今は海水を使うことが多いようですね(だから日本のワカメが海外の港で繁茂して、問題になったりしているわけですが)。当時は石を使うことも一般的でしたが、これはこれで用済みの石を港湾内で廃棄しちゃうので、それを後で引き上げる必要があり、問題だったそうな。
以前から謎だったのは、世界史で時々、「貨幣の輸入」に触れている部分があること。古代ローマの金貨が南インドに輸入され、現地でそのまま流通したとか、中国の宋銭や明銭が日本などに輸出され、そのまま使われたとか。まぁそういうものだと思えばそれまでだけど、何か解せなかったのですが、バラストを兼ねていたのだと思えば、納得がいきます。たまたま読んだ本でこういう発見があると嬉しいです。こういうのをセレンディピティというのですね。
あと、貨幣と同レベルで論じてはいけないのは承知ですが、アフリカ大陸からアメリカ大陸に黒人奴隷を連れてくる時、「ケースに並べたスプーンのように」奴隷たちを寝かせて積み込んでいたのですが、これもある意味でバラストを兼ねていたのでしょうか。できるだけ多くの黒人奴隷を連れていけるよう、そういう方法がとられたという説明がされるのですが、それだけではなかったのかも。
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