魅惑のマンホール、可愛い単管バリケード

日本各地・世界各地のマンホール蓋を中心に、単管バリケードも紹介します。街路樹保護盤やピクトグラム、救命ブイなど、様々なカテゴリーの記事をアップします。

『歴史学への招待』(佛教大学歴史学部編)~題名がすべてを語っています~

「はしがき」によれば、佛教大学は「日本の大学教育において初めての、そして唯一の歴史学部」を設置した大学だそうです。本書は、その歴史学部の専任教員全員で執筆したという興味深いものです。全264ページを22人で執筆しているので、一人当たりのページ数が少ない、つまりコンパクトに各自の論文が書かれているので、飽きずに読み進めることができました。中でも面白かったものをピックアップしてみます。

 

 

 

「船が語る日本の中世」(貝英幸)

韓国の全羅南道新安郡沖で見つかった「新安沈船」を手掛かりに、日本の航海や貿易をめぐる事情を明かしています。新安沈船は中国から日本に向かう途中、難破してしまった船です。

 

びっくりしたのは、船底に敷きつめられた銅銭がバラストとして用いられてた可能性が示唆されていること。バラストとは、船の安定した航行のために吃水を下げるための重りで、今は海水を使うことが多いようですね(だから日本のワカメが海外の港で繁茂して、問題になったりしているわけですが)。当時は石を使うことも一般的でしたが、これはこれで用済みの石を港湾内で廃棄しちゃうので、それを後で引き上げる必要があり、問題だったそうな。

 

以前から謎だったのは、世界史で時々、「貨幣の輸入」に触れている部分があること。古代ローマの金貨が南インドに輸入され、現地でそのまま流通したとか、中国の宋銭や明銭が日本などに輸出され、そのまま使われたとか。まぁそういうものだと思えばそれまでだけど、何か解せなかったのですが、バラストを兼ねていたのだと思えば、納得がいきます。たまたま読んだ本でこういう発見があると嬉しいです。こういうのをセレンディピティというのですね。

 

あと、貨幣と同レベルで論じてはいけないのは承知ですが、アフリカ大陸からアメリカ大陸に黒人奴隷を連れてくる時、「ケースに並べたスプーンのように」奴隷たちを寝かせて積み込んでいたのですが、これもある意味でバラストを兼ねていたのでしょうか。できるだけ多くの黒人奴隷を連れていけるよう、そういう方法がとられたという説明がされるのですが、それだけではなかったのかも。

 

 

「『戦後』を考える」(原田敬一)

終戦記念日」が8月10日だった可能性が示唆されており、読んでいてやるせない気持ちになりました。軍部が「国体護持」とメンツにこだわったせいで5日遅れたわけです。どうしても「降伏」が受け入れられない軍部が、surrenderを「服降」と訳してくれないかと外務省に掛け合ったことが書かれている部分では、怒りを通り越してあきれ果てました。原田先生が書いている通り、「一一日から一四日までの空襲で命や家を失った人々も多いことを考えると」、国の指導者の選択を間違えると、いかにとんでもないことになるかを痛感します。

 

「憶える歴史から考える歴史へ――アテナイの民主政と陶片追放」(井上浩一)

表題通りの内容でとても面白かったです。印象に残ったのは、本筋とは関係ない、アリステイデスのエピソード。「正義の人」として尊敬を集めていたアリステイデスは、それゆえに妬まれ、陶片追放されてしまうのですが、字を書けない男のために自分の名前を陶片に書いてやったとか。その男の言い分は、「どっこさ行ってもよ、『正義の人』『正義の人』って聞くもんでさあ、腹が立ってなんねえだからよ」というものでした。アリステイデスさん、可哀そう。

 

「近世ドイツにおける『家』の生き残り作戦――お葬式パンフレットを読み解く」(塚本栄美子)

お葬式パンフレットとは、より正確には「追悼説教パンフレット」と呼ぶべきもので、16世紀半ばから18世紀半ばのドイツ語圏の主にプロテスタント圏、特にルター派地域で作成されたものです。死者の経歴などを記すことで、故人が本文中の言葉を借りれば、「『神に喜ばれる徳』と『世俗の栄誉』を兼ね備えた身近なヒーロー」であったことを、遺族の周辺の人に知らしめることが目的だったようです。

 

カトリックでは遺族が祈りや善行に励む「とりなし」を行えば、死者の煉獄(死者が天国に行く前に罪の償いのためにとどまる場所)からの解放につながるという考えがあります。でも ルターが煉獄の存在を否定したため、遺族が死者のために何もできなくなり、途方に暮れたことにあるようです。死者のために祈れば、自分の心も慰められるのに、それを否定されたのですから。でも「個人は生前こんなに立派なキリスト教徒だったのだから、間違いなく神のもとに行ったはず」と思えれば、遺族の心が安らぐというのが、パンフレットが作られた1つのきっかけでした。

 

でももう1つの目的はもっと俗っぽく、「故人はこういう人脈を持ち、こういう仕事をした人だった。だから遺族のことも、よしなにね」というものだったみたい。いつの時代も、コネは大事なようです。

 

「良い就職先は良い成績から? ――一九世紀中葉オックスブリッジにおける大学教育の葛藤」(水田大紀)

大学入試などを目的に、現代日本では塾や予備校による詰め込み教育が盛んです。でも19世紀中頃のオックスフォード、ケンブリッジ両大学でも、学生たちは少しでも良い就職先を得るために優等学位試験で好成績を収めようと、大学の授業そっちのけで詰め込み教育に励んでいたというお話。その結果起きたこととは……。

(一)試験で問われること以外、なんら興味関心を持たないようになる。

(ニ)分からない問題にぶつかった時、PTが即座に解答を教えてしまうので、学生が彼等に完全に頼りきり、自力で問題を解決しようとする貴重な習癖を身につける機会を失う。

(三)PTが学生に適していると判断した偏った情報しか得られなくなる。

PTとは詰め込み教育を行う私設指導員(Private Tutor)のことですが、それを塾とか予備校とか家庭教師に置き換えれば、まんま日本で起きていることですね。うーむ。

 

平安京の実像――都市と思想」(佐古愛己)

平安京というと、教科書で目にする碁盤目状の真四角の姿を思い浮かべるけど、桓武天皇が完成を見ぬまま造営事業を終えた上、鴨川をはじめとする自然条件にも左右されたので、実際はかなり歪な形だった、という指摘が印象に残りました。教科書のイメージそのままだと思うと、大間違いだということですね。

 


 

 

ちなみにこれ、本日3本目の記事です。投稿しない日もあるのだから、そういう日用に取っておけばいいとは思うのですが、書き上がればさっさとアップしたくなるもので。まぁこの記事は、それこそ数日前に途中まで書いたのを下書き保存しておき、ようやく書き上げたものですけど。

 

1本目、2本目は以下の通りです。

 

margrete.hatenablog.com

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