魅惑のマンホール、可愛い単管バリケード

日本各地・世界各地のマンホール蓋を中心に、単管バリケードも紹介します。街路樹保護盤やピクトグラム、救命ブイなど、様々なカテゴリーの記事をアップします。

『ぢぢ放談』(永六輔、矢崎泰久)~真剣に向き合った過去ゆえの言いたい放題~

おじいさん二人の、テレビや政治などについての対談をまとめたものです。あまりの言いたい放題ぶりに、ちょっと嫌になります。でも二人とも、外野で好き勝手なことを言っているわけではなく、テレビや政治にどっぷりつかり、真剣に向き合った過去があるゆえの言いたい放題なので、重みがあります。

 

 

「テレビなんて知らない」、「政治なんて知らない」という具合に、すべての章に「〇〇なんて知らない」という題が付いているわけですが、テレビや政治はともかく、「冤罪なんて知らない」、「基地なんて知らない」、「環境問題なんて知らない」という題名は、いかがなものでしょう。もちろん二人はそれらをどうでもいいと思っているわけではなく、中身を読めば真剣に考えていることは分かるのですが、題名だけ見ると逆の印象を受けますよね。本人たちが付けたのか、編集者が付けたのかは知りませんが、あまりセンスが良くないと思いました。

 

そして最終章で明かされる、永さんの不潔ぶりときたら……。世の中の行きすぎた清潔志向に異を唱える内容で、それについては同感ではありますが、あなたは不潔すぎます。まぁ、もう鬼籍に入られた方に文句を言っても仕方ないんですけどね。

 

心に残った言葉は以下の通り。

 

お金を出しただけのご利益はもう十分いただいている。結局、ものの値段って金額の多寡じゃないでしょう。使われ方しだいで、高くつくこともあるし、お買い得ということもある。365万円のものを買っても、1日1万円分のありがたさを肌で感じることができたら、1年で減価償却しちゃうわけじゃない。 

 

お金を使うことに「ご利益」という発想はなかったので、ちょっとはっとしました。高い物を買っても、ただしまい込むだけでは、文字通り「宝の持ち腐れ」だし、その物の命を粗末にすることになるわけですね。高い物に限らず、自分が手にした物は、存分にその命を活かさねばと思いました。

 

ちなみにこの題、TBSで日曜の朝にやっている「時事放談」のパロディですよね。亡き祖父が、やけに真剣に観ていたのを思い出しました。子どもの頃は、「爺ホーダン」だと思っていましたよ。じじだから、じじ用の番組を観ているのだろうと(^-^;